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1今泉今泉今泉は芦田七井戸の一つであり宝暦八年(1759年)の「芦田八ヶ略誌」によれば「今泉は明暦三年(1658年)浅野宮君御東下の供御用水となる。平素は鍵をとざして人の汲むを許さず神主今井式部大輔の水なり」とあり古くから由所ある湧水であることが証明される。 また今泉を含む芦田七井戸は当時は「七曜井(しちようい)」又「七星井(しちせいい)」とも言われ、鳥居井戸(正明寺裏にあり蓼科神社一の鳥居があった)、桜井戸(芦田の北裏)、今泉、和子井戸、赤沢井戸(赤沢前:現存しない)、中井戸(上五反田)、下井戸(下五反田)があたかも北斗七星の形に配置されていることから「七星井」ともいわれたとされ、その内の中井戸と下井戸の二ヶ所は古くから田用水に使われていたという記録がある。 今泉は昭和47年まで鉄平石で囲まれ2020-12-07
2馬頭観音馬頭観音蓼科にある馬頭観音です! ここの馬頭観音は高さ2m以上あるらしいです! 実際に皆さんも見てはいかがでしょうか?2020-11-16
3諏訪神社諏訪神社立科町茂田井地区にある諏訪社は諏訪神社の分社である。 諏訪神社の祭神は、建御名方命(たてみなかたのみこと)である。この神は、出雲系諏訪族の祖先として諏訪の上下二社に奉斉され古く南宮ともいった。諏訪神社を中心とする諏訪信仰は全国的であり、その分社の数も非常に多い。 茂田井の諏訪社の創建年は不明である。この神社に関する最も古い記録は天正16年(1588)当時の小諸藩主松平康国(芦田城主依田信蕃の子)が、蓼科神社の神官今井曽五郎にあてた書状がある。この神社を「毛田井之宮(もたいのみや)」として「神領を遺わしておくからには一騎の軍役を勤め、宮の修理、祭、祈念を怠ってはならない」とある。 現在の社殿は、江戸時代末期の文化15年(1818)に茂田井の宮大工・田中圓蔵が建てたもので上尾の中の本殿は一間2020-11-09
4一里塚一里塚蓼科の中山道にあった一里塚 江戸時代に、全国の諸街道に一里ごとに土を盛り、松や榎などの樹木を植え、里程(りてい)の目標とした塚。 ちなみに一里は4000mらしい2020-11-09
5神明社神明社天照大御神を主祭神とし、伊勢神宮内宮を総本社とする神社 感想 あまり手入れがされてなく、草が沢山生えていて中まで入ることが出来なかったが、その分雰囲気はあった。2020-11-02
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